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東京地方裁判所 平成10年(ワ)5962号 判決 2000年2月03日

原告 A野太郎

<他9名>

原告ら訴訟代理人弁護士 安原幸彦

同 則武透

同 三田恵美子

同 岡田和樹

同 鈴木周

同 谷合周三

被告 B山松夫

<他1名>

被告ら訴訟代理人弁護士 柴田保幸

同 田中清

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  被告らは、東日本旅客鉄道株式会社(以下、「JR東日本」という。)に対して、連帯して、六〇〇万円及びこれに対する平成一〇年四月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告B山松夫は、JR東日本に対して、三〇〇万円及びこれに対する平成一〇年四月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事実関係

一  事案の概要

本件は、JR東日本が、同社の従業員を組合員に有する国鉄労働組合(以下「国労」という。)の組合員に対して不当労働行為を行ったと東京都地方労働委員会(以下「都労委」という。)により認定され、救済命令の発令(以下「本件救済命令」という。)を受けたことに対して、中央労働委員会(以下「中労委」という。)に再審査を請求し、さらに裁判所に本件救済命令の取消訴訟を提起する等の不服申立てをした件について、JR東日本の株主である原告らが、同社の取締役である被告らに善管注意義務違反・忠実義務違反(被告B山については、本件救済命令で不当労働行為とされた事件(以下、本件救済命令で不当労働行為と認定された事件を「本件事件」という。)について十分な調査を行うことなく自身が取締役として推進した国労敵視政策に基づいてJR東日本に本件各不服申立てを行わせて弁護士費用を支出させたこと、被告C川については、自身が不当労働行為を行ったにもかかわらず取締役としてJR東日本にこれを知らせることなく同社に不服申立てをさせて弁護士費用を支出させたこと。)があったとして、被告らに対して右不服申立てのために要した弁護士費用相当額の損害をJR東日本に賠償するよう求めた株主代表訴訟である。

二  争いがない事実等

1  原告らは、本件訴訟提起の六か月以上前から引き続きJR東日本の株式を保有する株主である。

被告B山は、昭和六二年四月以降JR東日本の常務取締役(総合企画本部長)に、平成五年六月から現在までは同社の代表取締役社長の地位にある者である。

被告C川は、平成五年六月から現在までJR東日本の取締役(総務部長)の地位にある者であるが、昭和六二年一一月当時、JR東日本自動車事業部総務課長の任にあった。

2  昭和六二年四月一日、日本国有鉄道改革法と旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社に関する法律の二法律に基づき、国鉄が経営していた旅客鉄道事業のうち、東日本地域における事業を承継する会社としてJR東日本が設立された。設立当時、JR東日本には、旅客自動車運送部門として関東地方を中心とする一三の自動車営業所を管轄する自動車事業部があったが、同事業部は、昭和六三年四月一日、JR東日本が全額出資するジェイアールバス関東株式会社として分離独立した。

3  国鉄は、昭和六二年四月一日、JR東日本を含む六つの旅客会社と一つの貨物会社に分割民営化された。国鉄の分割民営化が公に提起されたのは、昭和五七年の第二次臨調第四部会の報告が最初であるが、昭和六〇年には国鉄再建監理委員会が全国六社への分割などを内容とする報告書を提出した。その中には、当時の国鉄職員三〇万人のうち八万五〇〇〇人を整理することなどが含まれていたため、国労を初めとする国鉄内の労働組合は、鉄道労働組合(鉄労)を除いて全てこれに反対する姿勢を示した。

4  国労東日本本部は、被告C川が、国労組合員で国労東日本本部東京地方本部関東地方自動車支部東京自動車分会執行委員長であったD原梅夫に組合からの脱退を勧奨したとして、昭和六二年一二月、都労委に対して救済命令を申し立てた。都労委は、JR東日本自動車事業部総務課長であった被告C川が、昭和六二年一一月二七日、D原の自宅を訪問し、同人に対して、「国労に残っていては駄目だ。」、「あんたに来てくれなければこまる。」などと申し向けて組合からの脱退を勧奨した事実を認定し、右事実は不当労働行為に該当するとして、平成元年六月二〇日、救済命令を発令した。

JR東日本は、中労委に対して再審査を申し立てた(以下「本件再審査申立て」という。)が、中労委は、平成六年一一月三〇日、再審査申立てを棄却した。

JR東日本は、平成七年一月一一日、右中労委の判断を不服として、東京地裁に対して不当労働行為救済命令取消訴訟(以下、「本件取消訴訟」という。)を提起したが、東京地裁は、平成八年一〇月二四日、JR東日本の請求を棄却した。この訴訟では、D原がJR東日本申請の証人として出廷し、JR東日本の主張に沿う証言をしたが、東京地裁はこれを排斥した。

JR東日本は、平成八年一一月六日、右棄却判決を不服として東京高裁に控訴を申し立てた(以下、「本件控訴」という。)が、東京高裁は、平成九年九月九日、JR東日本の控訴を棄却した。

JR東日本は上告せず、JR東日本の敗訴が確定した。JR東日本は、都労委の救済命令で命ぜられた謝罪文を国労に交付した。

第三争点及び当事者の主張

一  争点

1  本案前の抗弁

(一) 本件訴えは、請求の特定を欠くか

(二) 本件訴えは、権利の濫用に当たるか

2  本件救済命令に対する中労委への本件再審査申立て及び本件取消訴訟の提起、本件控訴(以下、本件再審査申立て、本件取消訴訟及び本件控訴の提起の三つをあわせて「本件各不服申立て」という。)に関し、取締役の善管注意義務違反・忠実義務違反があるか。

(一) 被告らの本件各不服申立てに対する関与の有無及び被告らの取締役としての注意義務の内容

(二) 本件各不服申立ての違法性の有無

3  損害額(JR東日本が本件各不服申立てのために支出した弁護士費用の額)

二  当事者の主張

1  争点1(本案前の抗弁)について

(被告らの主張)

(一) 被告らは、本件再審査の申立て、本件取消訴訟の提起及び本件控訴のいずれについても会社の意思決定はもとよりその実施について関与する立場にはなく、現に関与したこともない。

したがって、被告らがJR東日本の取締役として、本件各不服申立てについての会社意思決定に関わったことを前提として、被告らについて善管注意義務違反があるとする原告らの主張は、被告らの善管注意義務違反行為を特定しておらず、そもそもその対象が存在しないものであるから、本件訴えは不適法なものとして却下されるべきである。

(二) 本件訴訟の提起は、代表訴訟の形をとっているが、原告らは事実関係を十分に検討しておらず、またその目的はJR東日本に生じた損害の回復を目的とするものではなく、JR東日本のした本件各不服申立てがたまたまいずれも結果的には容れられなかったことに乗じて、原告らがJR東日本の労務政策を批判する目的のもとに、専ら被告らを法廷の場において人証として尋問するため提訴したものであって、本件訴えは株主権の濫用にあたり却下されるべきである。

2  争点2について

(原告らの争点2(一)についての主張)

(1) 被告B山について

被告B山は、本件各不服申立ての各時点においてJR東日本の常務取締役総合企画本部長又は代表取締役として、労務政策を遂行する地位にあり、実質的にも労務政策を決定する立場にあった。したがって、不当労働行為救済申立てがなされるなど、不当労働行為の発生が疑われる場合には、事実関係を慎重に調査し、適切な対応策を立案・実行して、原状回復と不当労働行為の再発防止を図る義務があった。

そうであるにもかかわらず、被告B山は、自ら推進したJR東日本の国労敵視の労務政策に基づいて国労が申し立てた救済命令申立てについては不当労働行為の有無にかかわらず係争を継続するという方針を立て、本件事件について十分に事実を調査すれば被告C川が不当労働行為を行ったことが判明し会社に本件各不服申立てを断念させることができたのに、右方針のもとに十分な事実調査を行わずJR東日本に係争を継続させて不要な弁護士費用を支出させた。

仮に、被告B山が本件各不服申立てについての最終的な意思決定を行わなかったとしても、被告B山が人事担当常務取締役として意思決定に関与した本件再審査申立てに関しては、被告B山は、労務政策を含む会社経営の中核的な地位である人事担当常務取締役として、総務課長E田春夫から本件再審査申立ての禀議についての事情説明を受けた際に、人事部勤労課においていかなる事実関係の調査を行い、その結果、どのような根拠及び理由で再審査申立ての許可申請の禀議案を立案したのか綿密に審査し、無用な係争の継続を阻止すべきであった。そうであるにもかかわらず、被告B山は、国労敵視の労務方針のもとに右禀議案に決裁することを承認し、会社に不要な弁護士費用を支出させた。

また、本件取消訴訟及び本件控訴の提起については、仮に意思決定を行った者が東京地域本社長であったとしても、被告B山は、中労委への再審査の申立ての決裁を行った当事者であり、自ら決裁した再審査申立ても棄却された事実を踏まえ、さらに慎重な検討を行うように地域本社長の意思決定を指揮監督する義務があるにもかかわらず、国労敵視の労務方針ゆえに検討を指示することを怠り、会社に不要な弁護士費用を支出させた。

(2) 被告C川について

被告C川は、D原に対する不当労働行為の実行者であり、本件取消訴訟及び本件控訴の提起の各時点においてJR東日本の取締役の地位にあった。

被告C川は、JR東日本に対する善管注意義務・忠実義務の内容として、会社内における事実調査の場においてはもちろんのこと、取締役会においても、また、仮に本件事件の事実調査のための取締役会や調査の場が設けられなかったとしても、係争中のいかなる場面においても、問題とされている自己の不当労働行為の有無について真実を述べ(以下「真実義務」という。)、JR東日本をして紛争の継続による不要な弁護士費用の支出を回避させるべきであった。ところが、被告C川は、国労敵視の労務政策を維持するため又は自己保身のためという不当な目的で、調査の場や取締役会においても真実を述べずJR東日本に不要な弁護士費用を支出させた。

(被告らの主張)

(一) 被告らは会社の意思決定に関与していないこと

JR東日本の内部規則上、中労委に対する再審査申立てについては代表取締役の意思決定にかかる事項であり、訴訟提起及び控訴については東京地域本社長の意思決定にかかる事項である。本件再審査申立て及び代理人との委任契約は当時の代表取締役A田夏夫が行い、本件取消訴訟の提起及び本件控訴並びに代理人との委任契約は東京地域本社長B野秋夫が行った。したがって、被告らは、本件各不服申立てについての意思決定に関与していない。

被告B山は、本件再審査申立ての決裁の過程には関与したが、本件再審査申立ては代表取締役社長の意思決定にかかる事項であり、被告B山はA田の指揮命令のもとで補佐行為を行ったにすぎず取締役の資格で関与したのではない。

(二) 次のとおり本件各不服申立てについての会社の意思決定自体が違法ではない(意思決定者について善管注意義務を履行している)ので、被告らに善管注意義務違反の問題は起こり得ない。

(1) 本件各不服申立ては正当な防禦権の行使であること

不服申立て手続において、結果的に一方当事者の主張が容れられなかったとしても、それが提訴権又は防御権の濫用とされる場合以外は、不服申立ての意思決定を行った取締役の行為が違法と評価されることはない。この点で、裁判を受ける権利の尊重を述べた上で、訴えの提起が相手方に対する関係で不法行為となるべき場合として裁判制度の趣旨目的に照らし著しく相当性を欠く場合に限り相手方に対する違法な行為となるとした最高裁判所昭和六三年一月二六日判決の趣旨が本件についてもあてはまる。

本件各不服申立ては、いずれもJR東日本における通常の意思決定過程を経て行われたのであり、その各意思決定機関は、その各決定にあたり、本件再審査申立てに際しては、JR東日本側の主張の妥当性、不服申立てをする必要性、都労委でなされた主張及び取り調べられた証拠並びに救済命令の内容を、東京地裁への提訴段階では、さらに中労委での主張及び証拠、中労委の命令を、東京高裁への控訴の段階では、さらに東京地裁での主張、証拠、判決内容をそれぞれ検討し、関係者の事情を聴取し(特に被告C川、C川に同行したJR東日本自動車事業部の総務課労働係長であるC山冬夫、D原とも不当労働行為を否定する陳述ないし証言をしていた。)、各段階において、JR東日本の担当部門の稟議の結果として不服申立てが相当であるとの意見を考慮に入れ、かつ、実体法及び手続法に精通し具体的な事実関係を把握している弁護士の、それまでの裁定機関における事実認定は誤りであり、不服申立てによって結論が逆転する可能性が十分にあることから不服を申し立てるべき旨の意見を信頼し、各機関の判断はJR東日本として容易に承服できないものであったことから不服を申し立てて、不当労働行為の成否について上級機関の判断を求めた。したがって、本件各不服申立ては正当な防禦権の行使であって違法な点はない。

(2) 経営判断の範囲内であること

会社が労働委員会の決定について不服申立てを行うかどうかの決定も経営判断の一つであり、その判断は取締役の裁量に委ねられているのであり、取締役に裁量権の逸脱・濫用があると認められる特段の事情がない限り、不服申立ての意思決定を行った取締役に善管注意義務・忠実義務違反はないと解すべきである。

右特段の事情とは、①法律上又は証拠上、全く会社の主張が受け入れられる可能性がないことが明らかなこと、②係争を継続することによっても会社に経済的利益及び事実上の利益を全くもたらさず、かえって会社に損害を与えることが明らかであること、③右①②の事情を取締役が知り、又は重大な過失により知らないで提起したこと等の事情が必要であるが、原告らはこれらの事情を全く主張立証しない。

(三) 被告C川は真実を述べていること

取締役が会社に対して真実を報告すべき義務を負うとしても、当該取締役が主観的に真実と考えている事実を報告すれば右義務を履行したと見るべきである。本件各不服申立ての手続においては、被告C川が述べた事実と異なる事実が認定されたが、被告C川は主観的に真実と信じた事実すなわち被告C川はD原に対して不当労働行為に当たるような言動を行っていないことをJR東日本に対して述べたのであるから、会社に対して真実を報告する義務を履行した。

(原告らの反論)

(一) 被告B山は、JR東日本の組織規程を根拠に被告B山が本件各不服申立てについての会社の最終的な意思決定権者ではないと主張するが次のとおりの理由で右主張は信用性がない。

① 不当労働行為の救済申立事件の再審査申立てが本社人事部の所管でかつ代表取締役の意思決定にかかる事項であるにもかかわらず、中労委で救済命令が維持されたことに対して、取消訴訟を提起するかどうかの判断が地域本社長の決裁となるのは不合理である。

② 本件救済命令の申立てがなされた昭和六二年には会社は国労から九〇件の地労委への不当労働行為の救済申立てをされ、昭和六三年から本件について中労委が再審査申立てを棄却した平成六年までの間は一一一件の救済申立てをされ、地労委で六八件の救済命令が出されている。この事実に鑑みれば、労働委員会の救済命令に対して取消訴訟を提起するかどうか、控訴するかどうかということについては、経営に重大な影響を及ぼす案件として取締役会の決議事項とするか、又は重要な訴訟の提起として本社の社長決裁事項とすべきである。

③ 被告B山は、別件の救済申立事件について「ただちに中労委にもっていくか、そのまま本訴にするか、どっちかにしようと思っていますけれども。いずれにしてもファイトが湧いてきて、今度は国労だけではなくて、地方労働委員会を相手に戦おうではありませんか。これはみなさん方も一緒にがんばっていただきたいと。これは裁判所にもっていけば一発で勝ちますよ。そこに行けば必ず勝ちますから、ですからそう思って組員を動揺させないようにしていただきたい。」と講演で述べているが、この事実は、被告B山がJR東日本に再審査申立て、訴訟の提起などを行わしめる実質的な権限を有しており、しかも国労を敵視し、さしたる根拠に基づかずに不服申立てを敢行していたことを示している。

(二) 被告らの引用する最高裁判例は、訴訟行為が当該訴訟の相手方に対する不法行為を構成するか否かについての判例であって、当該訴訟行為を行った当事者である会社内部における取締役の善管注意義務違反・忠実義務違反の成否に当てはまるものではない。

被告らは、JR東日本の本件各不服申立てが違法でない限り、取締役の責任が問題となる余地はないと主張するが失当である。本件訴訟では、被告らが取締役として会社の費用負担のもとに係争を継続したことが会社の健全な経営の観点から容認されるものであるか否かが問われているわけであり、仮に本件不当労働行為をめぐる訴訟においてJR東日本がD原の偽証などが功を奏して勝訴したとしても、それは真に会社の利益にかなうものではなく、被告らの責任が問われるべきことに変わりはないのである。

3  争点3(損害額)について

(原告らの主張)

JR東日本は国労の都労委への救済命令申立てに対応するため、弁護士秋山昭八、平井二郎、鵜沢秀行を代理人に選任した。同人らは、本件再審査申立て、本件取消訴訟及び本件控訴のいずれにおいても代理人として選任された。JR東日本は同人らに弁護士費用として少なくとも各人につき一審級あたり一〇〇万円を計四回支払った。このうち、都労委での弁護士費用については国労の救済命令申立てをうけて法律家による事情聴取の必要性があったことを考慮すればやむを得ぬ出費であった。しかし、本件再審査申立て以降に支出した弁護士費用九〇〇万円は、支出する必要のない費用であったのだから、会社の損害である。

被告B山は、本件再審査申立て時には取締役だったのであるから、責任を負うべき損害の範囲は本件各不服申立てに要した費用の全部である九〇〇万円である。

被告C川は、本件訴訟提起時に取締役だったのであるから、責任を負うべき損害の範囲は本件取消訴訟及び本件控訴の提起に要した費用の六〇〇万円である。

(被告らの主張)

JR東日本は、国労の都労委への救済命令申立て及び中労委への再審査申立てについて秋山弁護士を、本件取消訴訟の提起について秋山弁護士及び鵜澤弁護士を、本件控訴について右両弁護士に加えて平井弁護士を、それぞれ代理人に選任し、本件再審査申立てについて秋山弁護士に一〇〇万円、本件取消訴訟について秋山、鵜澤両弁護士に各一〇〇万円、本件控訴について前記三名の弁護士に各一〇〇万円をそれぞれ支払った。

第四当裁判所の判断

一  本件各不服申立ての経緯

1  再審査申立て

JR東日本の組織は、定款及び取締役規則その他別に定めるもののほかは、東日本旅客鉄道株式会社組織規程(以下「組織規程」という。)によるとされている。

組織規定三四条及び別表第1の1では労働事件に関する事項は人事部の所管とされ、本社内各長の専決施行事項を定める本社事務処理規程(管理規程)には当該事項を人事部長の専決施行事項とする規定はないので、再審査の申立ては代表取締役の意思決定にかかる事項であるということができる。

JR東日本では、都労委の命令及び審問記録を検討した上で再審査の申立てをすべきである旨の秋山弁護士の意見を聴取して本件救済命令について検討が行われた結果、平成元年八月一日、本件再審査申立ての許可を申請する原案が立案され、勤労課長代理D川一郎、勤労担当課長E原二郎、勤労課長A川三郎、人事課長B原四郎がそれぞれ決裁し、人事課長が人事部長B野秋夫に事情説明の上承認を得て決裁書面上は代理決裁し、同月三日、総務課長E田春夫が、総務部長C田五郎、人事担当常務被告B山、代表取締役副社長D野六郎及び代表取締役社長A田夏夫に事情説明の上承認を得て決裁書面上は代理決裁した。

そして、A田社長は、同年八月四日に本件再審査を申し立て、同年九月一一日、秋山弁護士を代理人に選任した。

秋山弁護士は、本件再審査の審理の中で本件救済命令は被告C川のD原に対する脱退推奨行為がなかったとする被告C川証言及びD原陳述書に反していることを主張し、被告C川とともにD原宅を訪問したC山冬夫及び本件事件の経緯について知識を持つ総務課長代理のE山七郎を証言させて、本件救済命令の事実認定を争ったが、中労委は本件再審査の申立てを棄却した。

2  訴訟の提起

JR東日本においては、会社の訴訟に関する業務については、法務管理規程のほか、訟務等処理手続(規程)の定めるところによるとされている(訟務等処理手続(規程)一条)。訟務等処理手続(規程)二条四号は、東京地域本社長を法務担当機関長と定め、同規程三条は、法務担当機関長はその所管業務に係る訴訟事件等並びにその所管区域内に所在する本社附属機関の所管業務に係る訴訟事件等を処理するものとすると定める。

JR東日本東京地域本社では、都労委及び中労委の命令及び審問記録を検討した上で救済命令の取消訴訟を提起すべきであり、勝訴の可能性は十分にある旨の秋山弁護士の意見を聴取して本件再審査の申立てが棄却されたことに対する対応について検討が行われた結果、平成七年一月九日、本件取消訴訟を提起することの許可を申請する禀議案が立案され、法務課長A山八郎、総務課長B川九郎、総務部C原十郎がそれぞれ決裁し、同月一一日、同部長が東京地域本社次長D田一夫及び同本社長B野秋夫(JR東日本取締役・支配人)に順次事情を説明しその決裁を受け、決裁書面上は同部長が代理決裁をした。

そして、B野本社長は、平成七年一月一一日、JR東日本の支配人として、秋山弁護士及び鵜沢弁護士を訴訟代理人に選任し、本件取消訴訟を提起した。

両弁護士は、本件取消訴訟の審理の中で本件救済命令は労働委員会での被告C川証言、C山証言、E山証言に反すると主張し、新たにD原及びD原が所属していた国労関東地方自動車支部執行委員長であったE野二夫に証言させ、更に関連書証を提出し本件救済命令の事実認定を争ったが、東京地裁はJR東日本の請求を棄却した。

3  控訴の提起

JR東日本では、東京地裁におけるD原、E野証人の証言内容及びそれまでの証拠資料を検討した上で、控訴審において第一審判決が覆される可能性が十分にあり控訴することが相当である旨の秋山弁護士及び鵜沢弁護士の意見を聴取して本件取消訴訟において請求が棄却されたことに対する対応について検討が行われた結果、平成八年一一月五日、本件控訴を提起することの許可を申請する禀議案が立案され、法務課長A山八郎、総務課長A原三夫、総務部長B田四夫がそれぞれ決裁し、同月一五日、同部長が東京地域本社次長C野五夫及びB野本社長に順次事情を説明しその決裁を受け、決裁書面上は同部長が代理決裁をした。

そして、B野本社長は、平成八年一一月六日、JR東日本の支配人として、秋山弁護士、鵜沢弁護士及び平井弁護士を訴訟代理人に選任し、本件控訴を提起した。

三弁護士は、本件控訴の審理の中で前記地裁判決は被告C川証言、C山証言、E山証言及びD原証言に反すると主張し、D原の当時の上司であったD山六夫、JR東日本自動車事業部輸送課長E川七夫の陳述書を作成して証拠として提出し、右E川を証人申請したが、東京高裁はJR東日本の控訴を棄却した。

4  国労による救済申立て事件の多発

本件救済命令の申立てがなされた昭和六二年には、前記争いのない事実等に記載した国鉄分割民営化を背景とした労使紛争が激化し、JR東日本は国労から九〇件の地労委への不当労働行為の救済申立てをされ、昭和六三年から本件について中労委が再審査申立てを棄却した平成六年までの間は一一一件の救済申立てがされた。

二  争点についての判断

1  争点1について

(一) 被告らは、本件各不服申立てについての会社の意思決定に被告らは関与しておらず請求が特定されていないので本件訴えを却下すべきであると主張する。しかし、会社の意思決定への被告らの関与の有無は本案で決すべき問題であり、被告らの右主張は採用できない。

(二) 被告らは、原告らは被告らを本人尋問に喚問して追及的尋問を行うためだけに本件訴えを提起したのであり正当な株主権の行使に基づくものではないので本件訴えを却下すべきと主張するが、被告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。したがって、被告らの右主張は採用できない。

2  争点2について

(一)(1) 会社が労働組合との労使紛争に関して、地労委から不当労働行為についての救済命令を受けた場合に、当該救済命令について中労委に不服申立てをすること、中労委のした右不服申立てを棄却する決定に対して会社が原告となって救済命令取消訴訟を提起すること、あるいは、これに関して控訴することは、会社の労働組合に対する基本的政策に関わるものであり、これらについての取締役の意思決定は、取締役による経営判断というべきであるから、おのずから広い範囲に裁量が及ぶというべきである。

(2) 法的紛争の当事者が、当該紛争の終局的解決を裁判所に求めうることは、法治国家の根幹に関わる重要な事柄であるから、裁判を受ける権利は最大限尊重されなければならず、(訴えの提起の相手側に対する関係での)不法行為の成否を判断するにあたっては、いやしくも裁判制度の利用を不当に制限する結果とならないよう慎重な配慮が必要とされることは当然のことである。民事訴訟を提起した者が敗訴の確定判決を受けた場合において、右訴えの提起が相手側に対する違法な行為といえるのは、当該訴訟において提訴者の主張した権利又は法律関係(以下「権利等」という。)が事実的、法律的根拠を欠くものであるうえ、提訴者が、そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知りえたといえるのにあえて訴えを提起したなど、訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときに限られるものと解するのが相当である。けだし、訴えを提起する際に、提訴者において、自己の主張しようとする権利等の事実的、法律的根拠につき、高度の調査、検討が要請されるものと解するならば、裁判制度の自由な利用が著しく阻害される結果となり妥当でないからである(最高裁第三小法廷昭和六三年一月二六日判決・民集四二巻一号一頁)。

右判例は、訴えの提起が相手側に対する関係で不法行為になるかという点についてのものであり、当該訴訟行為を行った当事者である会社内部における取締役の善管注意義務違反・忠実義務違反の成否にそのままあてはまるものではないことは原告主張のとおりである(例えば、後述するように、相手側に対する関係では適法な提訴であっても、勝訴によって得られる利益に比して過大な費用を要することが確実であり、全体的に見て提訴がむしろ会社の利益にならないというような例外的場合に、提訴に関する取締役の義務違反が問題になる余地はあろう。)が、訴訟で会社が勝訴すること自体会社に利益をもたらすものである以上、提訴の意思決定についての取締役の責任を問題とするについても、提訴の事実的、法律的根拠(勝訴の可能性)及びそれについての提訴の意思決定者の認識(及びその可能性)が重要な要因となることについて、右最高裁判例の趣旨は、あてはまるところがあるということができる。

原告らは、訴訟で仮に会社が勝訴しても、会社との関係では、被告らの責任が問題となるのであり、仮に本件の不当労働行為についての訴訟においてJR東日本が勝訴したとしても、それは真にJR東日本の利益にかなうものではなく、被告らが取締役としての義務に違反した事実がなくなるわけではないのであるから、被告らの責任が問われるべきことにおいては何らの違いがないものであると主張するが、独自の見解であって採用できない。

なお、以上述べたところは、会社が提訴に対して被告として応訴する場合、及び準司法機関としての労働委員会での争訟に被申立人として応ずる場合にもあてはまるものということができる。

(二) 本件各不服申立ての違法性の有無

右(一)(1)及び(2)に述べたところから、会社の提訴、応訴(労働委員会での対応をも含む。)に関する取締役の意思決定については、争う(訴える又は応訴する)ことが会社の利益に反すると通常の取締役の知見と経験を基準として相当の注意を払えば予測できたのに、あえて争うという意思決定をし、その結果会社に損害が生じた場合に、取締役の善管注意義務・忠実義務違反を理由とする取締役の会社に対する損害賠償責任が発生するものであり、このような例外的場合を除いては、違法の問題が生じることはないというべきものである。右の例外的場合としては、次の①ないし③のような場合が挙げられる。

① 争っても敗訴することが確実であったり、仮に勝訴したとしても争うことにより会社の社会的評価が著しく低下することが見込まれるなど争うこと自体がむしろ会社の利益に反することが明らかな場合

② 争うことに要する費用が争うことによって得られるかもしれない利益を上回ることが明らかな場合

③ 争う前提としての事実調査に遺漏があり、又はその事実に基づく判断に著しく不注意な誤りがあるか、あるいは争うことの根拠がないことを意思決定をする取締役が知りながら争う場合

(三) 以上述べたところにより、本件において、中労委に再審査申立てをした当時のJR東日本の代表取締役A田夏夫の意思決定及び東京地裁に救済命令の取消訴訟を提起し、東京高裁に控訴した当時のJR東日本の取締役兼支配人・東京地域本社長B野秋夫の意思決定にJR東日本に対する善管注意義務違反・忠実義務違反が存するかという点について判断する。

(1) (二)①の争うこと自体が会社の利益に反することが明らかな場合といえるかという点については、本件救済命令において不当労働行為とされた昭和六二年一一月二七日にD原宅で被告C川がD原に対して「国労に残っていては駄目だ。」、「あんたに来てくれなければこまる。」などと国労からの脱退を勧奨した事実があったか否かについては、その場に居合わせたC川、D原及び当日C川に同行したC山冬夫を含めた三人が揃ってこれを否定する証言をし、あるいは陳述書を作成しているのであるから、これに反する有力な証拠(同月三〇日における国労東京自動車分会執行委員会でのD原発言のテープ反訳書)があったとしても、JR東日本として不当労働行為の成立を争っても破れることが確実であったということはできないし、また、不当労働行為の成立を争うことによりJR東日本の社会的評価が著しく低下することが見込まれるということがいえないことも明らかである。

(2) (二)②の争うことに要する費用と争うことによって得られるかもしれない利益との比較衡量という点については、一般的にいって会社にとって使用者による不当労働行為が行われたとの最終判断を受けることは労務政策上も、企業イメージの毀損という点からも大きな不利益となること、特に前記の国鉄の分割民営化をめぐる状況、JR東日本と国労との間の対立状況の中ではJR東日本にとって本件不当労働行為の成立を否定する判断が得られることは大きな利益となるということがいえる反面、JR東日本にとって争うことに要する費用は、直接費用についていえば、中労委への再審査請求については秋山弁護士に対して支払った弁護士費用一〇〇万円及び手続費用であること、東京地裁への取消訴訟の提起については秋山及び鵜澤の両弁護士に支払った弁護士費用計二〇〇万円及び手続費用八二〇〇円であること、東京高裁への控訴については、秋山、鵜澤及び平井の三弁護士に支払った弁護士費用計三〇〇万円及び手続費用一万二三〇〇円であることを考慮すると、争うことに要する費用が争うことによって得られるかもしれない利益を上回ることが明らかであるということはできない。

(3) (二)③の争う前提としての事実調査及びその事実に基づく判断の相当性という点についていうと、JR東日本が本件の不当労働行為の成否について、被告C川、D原及びその場に立ち会ったC山からの事実聴取を含めた調査を行ったこと、中労委への再審査申立て及び東京地裁への取消訴訟の提起については、国鉄時代から含めて使用者側の顧問弁護士であり、労使紛争についての代理人を多数務めた経験のある秋山弁護士の意見を聴取した上で決定したこと、東京高裁への控訴については、秋山弁護士及び国鉄時代からの顧問弁護士である鵜澤弁護士の意見を聴取した上で決定したことをそれぞれ認めることができ、この点からいって事実調査及びその事実に基づく判断について、著しく不注意な誤りがあったということはできない。また、中労委への再審査請求についての意思決定を行ったA田社長並びに東京地裁への提訴及び東京高裁への控訴について意思決定を行ったB野本社長が、本件不当労働行為として認定された被告C川の発言があったということを知っていたとする証拠もない。

(4) 以上によれば、A田社長及びB野本社長の意思決定に善管注意義務・忠実義務違反の違法があったとはいえないから、不当労働行為についての本件各不服申立てに関する両者の意思決定は適法であり、中労委への再審査請求のための弁護士費用並びに東京地裁への訴訟提起及び東京高裁への控訴のための弁護士費用の支出をJR東日本にとっての損害と評価することはできないものというべきである。

三  結論

以上によれば、本件において、被告B山がA田社長及びB野本社長の意思決定にどのように関与したかの点並びに被告C川の真実義務の点を判断するまでもなく、原告らの主張は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 菅原雄二 裁判官 中山顕裕 松山昇平)

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